yellowproud’s diary

地球は宝石箱☆海、花、野菜、動物たちとの地球での出会いや旅の記録。

東北三陸の旅 Day4 南三陸ホテル観洋の語り部バス、道の駅「津山」

2022/5/5 東北三陸の旅、最終日です。

三陸ホテル観洋さんに宿泊した最大の目的、語り部バスツアーです。

 

復興の旅。

訪れて資料を見て、現地で感じるものはあるけれど、実際のお話を聞くことははばかられるし、尋ねることはできなくて。

お話を聞ける機会があるのはすごく貴重だと思います。

 

チェックイン時に予約もできる、との案内でしたが、ゴールデンウィークで予約満了になってたら、と思い、数日前にお問い合わせしたところかなり迅速にメール返信が来て、そのまま予約できました。

こんなに素早い対応をしてくれるんだ!と観洋さん、かなり好印象です。

 

2台のバスでゆとりを持って出発。

震災時の写真を見せてもらえたりするので、前の座席の方が良いです。

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観洋スタッフさんの語り部がはじまります。

戸倉エリアから。

 

ここにも街があり、学校がありました。

学校の防災会議で生徒たちを避難させる際に学校の屋上がよいのか、裏手の小山がいいのか、

議論が分かれた。

鉄筋で頑丈な学校の屋上がいいのでは、という話に傾いていたところ、地元出身の先生は

「屋上で津波を免れたとしても、その後しばらく孤立してしまいます」と避難先は裏手の小山を示した。

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震災の日、生徒たちはこの小山(高台)に避難。

学校は海の中に。

津波はこの高台まで迫り
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さらに隣の神社のある小山に駆け上る。

この神社に避難した人はみんな無事で、上級生が下級生を励ましながら、ときには歌を歌いながら一夜を明かした。
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バスは坂を登り、戸倉公民館へ。

かつて学校でした。
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向こうに海が見える、なかなかの高さです。

しかしながら、ここも津波がやってきました。

避難してここから海の様子を見ていたそうです。
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震災が起こった時刻で時計は止まっています。f:id:yellowproud:20220528133632j:image

別グループも訪れています。
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こちらはグラウンドと体育館。

なんと、津波は体育館の裏からやってきたそうです。海とは反対側。山にぶつかった波がやってきたのではないか、予測を超える動きをするんです。

みんな急いで校舎の2階にさらに避難。

逃げ遅れた人と助けに行った教員、数名が犠牲になった、と語り部さん。
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わりと坂を登ったんです。

結構高台だよね〜と思っていたけど、それを超えるなんて。

 

バスは戻り、南三陸の街の方へ。

移動の間も写真も紹介しながらさまざまな話をしてくださいました。

 

気仙沼線BRTのこと。

今は道路に専用線を作って、列車ではなくバスの運転。

JRと自治体の一定割合の折半で列車の復旧という条件ですが、自治体にとっては相当な高額…今後も列車ではなくBRTとするという結論になっている。

しかし、気仙沼線は地域の歴史の中で悲願の列車敷設だったので、復旧への思いは続いている。

 

ホテル観洋での震災の日のこと。

引き潮が尋常じゃなく、海面は広く遠く見えていた。こんな光景はみたことがない。

家族の安否を心配しながらも宿泊しているお客さんのために働く。

 

次は高野会館へ。

観洋さんの母体の会社さんが民間震災遺構として保存しています。

こちらは結婚式だったり、パーティーなどを行う会館でした。

震災当日は地元の老人会の発表会。
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高野会館の周りもたくさんの建物が立っていて、賑わいのある街、そのシンボルでした。
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建物の左上に津波到達点が表示されています。f:id:yellowproud:20220528133603j:image

バスから下車して数分ほど見学。
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右側の写真。

屋上まで浸水してます。足が浸かりながら一夜を過ごしたそうです。寒い日でしたよね。。

上階に避難を案内した支配人。屋上に避難した人は無事でした。

別の避難所に行こうと出てしまった数名は犠牲になってしまったそうです。そのくらい津波のスピードも想像を超えていたそうです。
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ここにも街があり、人々の活動があり、暮らしがあり。

それを忘れてほしくない、知ってほしい、という思いで語り部活動を続けていく。
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三陸さんさん商店街の川をはさんで向こうに南三陸旧防災対策庁舎が震災遺構として保存されています。

避難をずっと呼びかけていたエピソードは知っていましたが、途中で上司がマイクを取り、部下を避難をさせたけど、津波が鉄塔を超えてやってきて…

結婚も決まっていた部下の方。

明るく温かな未来が続いていくはずだったのに…
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ホテルへの帰り道、

「これまでの見たこと感じたことをぜひ身近な人に話してほしい。そして、ぜひ、お住まいの地域の避難場所、家族と確認してほしい。災害に備えて常備品なども確認してみてください」と語り部さんが強いメッセージを私たちにかけてくださいました。

 

当時のことを語ることも、きっと心を砕かれているのだと思います。

それでも、私たちに語りかけてくれるのは、

未来の命をひとつでも多く守りたいからではないかな、と気付きました。

現地に行って見聞きしたり、観光を楽しむことも支援になると信じてますが、

語りかけてくれたことを自分の未来につなげることが最大の復興支援なのかもしれません。

 

家に帰って、避難リュックを見直したり、

家族で避難場所を確認しました。

 

このブログの記載ももう1ヶ月経過してしまったのでうろ覚えの記述もあるかもしれません。

それでも、今の記憶を、自分でもこれから先も振り返られるよう、ここに記します。

 

バスツアーから帰ると、チェックアウト時間はもうすぐ。

名残惜しいけどホテル観洋さんを後にして、三陸道〜東北道と帰って行きます。

 

三陸道に入る前に、道の駅「津山」もくもくランドに立ち寄り。

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豪雨の浸水被害でこちらのもくもくハウスは改装中。

少しコンパクトなお店になっている状況でしたが、ネギやせり、おにぎりや和菓子などを買いました。
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「おかえりモネ」で登場した木工品も展示してました。
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帰りは東北道那須高原あたりでがっつり渋滞にハマり。

福島県内のサービスエリアで「ままどうる」というめっちゃ美味しいミルク饅頭を探しましたが、見つからず…

なんと、埼玉の蓮田サービスエリアで見つけました。

 

東北に行けてよかった。

旅でお世話になった皆様、ありがとうございました!